直方鉄工協同組合
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ある町工場の立志伝「明治から今日まで」
100周年記念誌より(発行:2000年11月)
2000年当時の工場外観 株式会社内藤鍛造所の
現取締役 内藤博俊氏の
父上にあたる内藤研一氏が
ご自身の波乱に富んだ
人生を振り返り、「ミニ自叙伝」
として残された文章を
ここに掲載させて頂いたものです。
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目次
1.父吉太郎、直方の地へ
2.内藤鍛造所創立
3.恩師、榎本千代蔵先生

4.第一次世界大戦の恐慌の波 ・・・米一俵・・・
5.鞍手中学 同盟休校事件
6.年期奉公

7.人生塞翁が馬
8.青春時代
9.節子と結婚
10.フイゴふきからの開放
11.友でありライバルの出現
12.車力

13.ハンマーの設置
14.電気不足
15.父そして節子

16.公害の始まり
17.直方の重油炉 第一号
18.工場移転の決意

19.希望に燃えて赤地の新天地へ移転
20.追記
記念誌への掲載にあたって
昭和37年移転当時の工場外観
昭和37年移転当時の工場外観

 このたび、「組合創立100周年記念事業特別委員会」が「記念誌」の資料収集をされるにあたり、亡父内藤研一が書き残した「内藤鍛造所のルーツ」を参考資料として気軽に掲出し、一組合員として協力出来たと安堵しておりましたが、それを「ある町工場の立志伝」として取り上げていただき、心より感謝しております。
 ところが掲載にあたり、今も健在の母が自分の事が記載されてるのに難色を示しておりました。又私も組合の理事長という立場を考えると心穏やかではありませんでしたが、委員会の再三にわたる要請により承諾をいたしました。
 普段は口数の少ない父でしたが、お酒が入るとよく喋り、私たち子供に昔の事を話してくれましたが、その事柄を父自身が文章にしたのが、「内藤鍛造所のルーツ」です。
 明治55年9月より1年に4回程度発刊してしました内藤鍛造所の社内報「ふれあい」に2年〜3年かけて、当事社長の父が投稿したものです。(この社内報は、世界・日本の醸成、会社内の出来事、お知らせ、レクリェーション、社員からの投稿記事などで埋まっておりました。)
 父は、日記を若い頃より書いていましたので、数字・月日は比較的勘違いは少ないと思いますが、諸氏のご芳名や文章のテ・ニ・オ・ハに間違いがあるかも知れません。故人の文章を尊重して原文のまま掲載をお願いいたしましたので、どうかご容赦下さいますようお願い致します。
株式会社内藤鍛造所
代表取締役
内藤 博俊
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